2014年08月03日

背中 & 古田清人3

田村装備開発です(^O^)

本日は、ポロシャツの紹介と、大伯父の紹介(前回の続き)です。


1 ポロシャツ

背中 & 古田清人3

長田部長の背中です。

マークが3つとも綺麗に写りました(^O^)

背中 & 古田清人3

昨日は、タッキー(ラペリング上級)が飛び出しハングを練習していました。

なかなか良い感じです(^^)




2 古田清人 3


背中 & 古田清人3


中国での飛行

1930年代の間、中国と日本の関係は非常に緊迫した状況でした。

日本は領土を拡大し、経済的に強くなりたいと考えていました。

さらに、隣接する中国を見ながら日本は満州を占領し、傀儡国家としました。

そして1932年1月18日、上海で暴動が起き、日本からいくつかの部隊が近くに上陸しました。

数年の間緊張が続くとともに状況は悪化していき、

1937年7月7日に北京の南西にある盧溝橋の近くで日中間の小さな戦いが起きました。

その事件の後、二国間で戦争が始まりました。

私たちは飛行訓練を続け、急降下爆撃や砲撃、通信の訓練を1937年7月まで行いました。

そして1937年7月7日、中国との戦争がはじまり、全ての兵力が戦時体制下に置かれました。

私の部隊は第十二航空隊として知られており、私は戦争が始まってわずか5日後にそこに参加しました。

私たちは飛行準備をし、8月に中国、上海に向かいました。

上海には公大(クンダ)飛行場という、日本の技術者が上海大学の敷地に作った新しい飛行場がありました。

近くにはゴルフコースもあり、私たちはその二つの場所を拠点として利用しました。

日本の海軍航空隊は戦争が始まってから次々と組織され、私たちの隊はその中の一つとなりました。

中国では、日本の地上部隊は壊滅寸前で、戦況は非常に悪化していました。

彼らを援護するため、数えきれないほどの戦闘部隊が飛行し、中国軍を空から壊滅しようとしました。

もともと南京は中国の首都で、私たちは敵の航空基地を攻撃するためによくそこへ行きました。

地上にある中国の飛行機を破壊し、中国に対し空の支配権を奪うことは容易なことでした。

(次回に続く)






田村装備開発(株)

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Posted by ミスター&ミセス 田村  at 11:52 │Comments(0)オリジナル製品ブログ

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