2014年10月31日

予約受付まであと3時間 & 古田清人最終回

田村装備開発です。


11月1日0時より、

オリジナルDVD 『田村装備開発2 逆恨み』の予約受付を開始致します。

100枚限定の特別版もありますので、宜しくお願い致します(^^)



1 逆恨み


・ 通常版 2,980円(税込)


・ 1.2 二枚セット 4,300円(税込) 【前作 第二支部の反乱 & 田村装備開発2 逆恨み】


・ 特別版 3,380円(税込) 【訓練DVDが付属します】




『逆恨み』PV



11月1日 午前0時より予約受付を開始致します(^^)

宜しくお願い致しますmm




2 古田清人最終回

振り返って

一般的には、(戦時中)日本軍はいつもロシアを潜在的な敵国として見ていました。

軍隊は満州で訓練し、ロシアとの関わりに注力していました。

海軍の場合、戦争中私たちの的はアメリカでした。

そのため飛行任務の間は常に敵であるアメリカをどう倒すかを考えていました。

海軍はアメリアの船と戦うために毎日厳しい訓練を行っており、それが我々のゴールでした。

ですが私個人的には、アメリカやアメリカ人に対する憎しみは持っていませんでした。

そうはいっても、一度日本軍の一員になれば、日本国民のために戦うことが我々の目的でした。

日本の兵士の中になぜ、敵の捕虜になるくらいなら自殺を選ぶことを誓う人々がいるかについて、

各人が最も望んでいること:死ぬか、生きるか のもとに個人の運命に覚悟を持っているからだと思います。

敵の捕虜になることが恥だと思っている人は自殺を選びます。

武士道(日本の武士の規律と精神)の古い倫理感を継承している人は同様に自殺を選ぶでしょう。

そして生き残りたいと願っている人は捕虜になることを選ぶでしょう。

真珠湾のことについて私が今どう感じているか?

戦争中、兵士は命令に従う以外に選択肢はなく、上官のいかなる指示にも絶対に従うことを教えられてきました。

私も与えられた任務を遂行しなければならず、他の選択肢はありません。

すべては64年前の出来事で、いまの自由思想の時代においては信じられないことです。

しかしながら、真珠湾攻撃は64年前に実際に行われたことであり、歴史の一章として記録されていることが疑いのない事実です。

日本は明治時代から日露戦争、日中戦争、第二次世界大戦など多くの戦争を経験しており、

今日の平和は非常に喜ばしいことだと思っています。

60年前に戦争で戦って以来、今の平和の時代が大変すばらしいものだと感じます。


大伯父の経験談、今回で終了となります。

お読み下さった皆様、有難うございました。




田村装備開発(株)
埼玉県東松山市大谷4453

www.tamurasoubi.co.jp
www.tamurasoubi-training.com
0493-36-1255


  


Posted by 田村 忠嗣  at 20:51Comments(0)オリジナル製品ブログ

2014年10月30日

クロ & その他諸々

田村装備開発です

猫を飼いました(^^)

とても可愛いです!

製品紹介と一緒に紹介させて頂きます!




1 逆恨み 予約開始まであと2日



自信作です!

撮影も、出演者の方々と楽しみながら行いました(^^)













特別版 予約販売のみ限定100枚です







2 クロ

捨て猫を飼う事になりました(^^)

名前はクロです!



最初は逃げ惑っておりましたが、

15分で懐きました(^O^)



今は、同じ布団で寝ています(^^)



そして、

長田家にも一昨日、猫がやってきました!



名前はトラです。

可愛いです(^^)






3 週末訓練



今週末は、戦術訓練に力を入れています(^^)


土曜日 CQB基礎戦技

日曜日 CQB応用戦技

日曜日夜間 ロウライト訓練

月曜日 RBT訓練



TTCの訓練が初めての方でも、

3日間の講習で、閉所近接戦闘~ロウライトバトルまで、様々な戦技を習得できる内容です(^^)

受講生に合わせた講習を心がけておりますので、初めて銃に触れる方でも問題ありません。

特に初心者の方は、伸び幅が大きいので、直ぐに実力の向上を実感できると思います。

この機会に是非ご参加下さい(^O^)

レンタル品もありますので、銃や装備を持っていない方もご安心ください。
                         (汚れても良い丈夫な服 ・・・ 長袖長ズボンをご用意下さい)










4 古田清人17

戦後

終戦後すぐに私は故郷に戻りました。

幸いにも、私の父は農家だったため食料には困りませんでした。

最初は父を手伝っていましたが、それだけでは生活していけません。

海軍時代、戦争の任務が解かれたら民間の飛行士になりたいと思っていました。

もし指令管のような海軍の上層部の階級であれば生涯国に仕えることになります。

私はそうなりたく無かったので私の上司に中尉以上に昇進したくないと伝えました。

しかしながら、アメリカが日本を占領した後、日本人が飛行機を操縦することを8年間の間禁止したのでした。

その月日が経った後、私はもう飛行機に乗るには歳を取りすぎていたため、果樹園を始めることにしました。

果物を育て、梨・ぶどう狩りをお客様に楽しんでもらうのです。

日本全国からお客様が来園されるこの果樹園を私は長い間続けています。

私は1940年に結婚し、3人の息子と1人の娘を授かりましたが、2番目の息子は生まれて間もなく亡くなりました。

妻は17年前に亡くなり、今は長男とその息子が果樹園を切り盛りしています。

次回に続く


田村装備開発(株)
埼玉県東松山市大谷4453

www.tamurasoubi.co.jp
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Posted by 田村 忠嗣  at 11:07Comments(0)オリジナル製品ブログトレーニング

2014年10月29日

公開! & 諸々更新 & 古田清人16

田村装備開発です。

最近、バタバタしており、更新が滞っております。申し訳ありませんmm

本日は、、、

新作映像作品 : 田村装備開発2 逆恨み

のPVを公開致します!

宜しくお願い致します(^^)


1 矢吹春奈さん




先日、ピースコンバット様の取材で矢吹春奈さんがお越しくださいました。

戦術訓練が主ですが、ラペリングも体験されました(^^)



とても運動神経の良い方で、短時間の練習でオーバーハングまで習得されました(^O^)

良い記事になると思いますので、どうぞ宜しくお願い致します!


矢吹春奈さんのブログ↓

http://ameblo.jp/marikoave19841218/entry-11943932486.html?timestamp=1414244826

是非ご覧ください!


2 ミリスマ

本日、ミリスマ2号の見本誌を頂きました(^O^)

Mil Suma (ミリスマ)は 株式会社ワールドフォトプレス様 の雑誌で、

内容量が多く、様々な装備品が掲載されているので、読んでいてとても楽しいです。

2号では、弊社のラペリングを特集して下さいました(^O^)



いつもお世話になっている、上矢さんと編集Mさんが体験されました(^^)

上矢さんのブログ http://yui.militaryblog.jp/

基礎的なロープ降下のコツが細かく書いてあるので、とても読みごたえがあります。

是非、ご購入ください(^O^)



3 危機管理産業展



有難いことに、SEE CATにご招待頂きましたので、

10月17日、危機管理産業展にいってまいりました(^O^)





色々と勉強させて頂きました!

良い新製品をいくつか発見しましたので、弊社でも扱わせて頂こうと思っております(^^)


4 逆恨み!

ついに!

田村装備開発 オリジナル映像作品 第二弾のPVが完成しました!

是非ご覧ください(^^)



ジャケットは、、、、




薔薇!


その理由は、観た方だけがわかります!

ご存知の方は、ネタバレ注意でお願い致します(笑)


今回の作品は、ミリブロでもお馴染みの、

乙夜さん http://miridoru.militaryblog.jp/

上矢さん http://yui.militaryblog.jp/

がご協力くださいました!




お二人は傭兵役なのですが、、、、

田村装備開発の人間をバタバタと倒します(汗)

お二人のご活躍を是非DVDでご覧ください(^^)


尚、私と長田部長も出演しており、かなり濃い内容になっております!


予約受付開始・・・11月1日

販売開始・・・・・・・12月15日予定 (若干前後する場合がございます)



特別版数量限定で販売致します。





特別版についてくるDVDは、弊社で作成するお手製です。

講師、及び、上級者の指導風景を主とした映像です。

実戦に限らず、サバゲー等にも役立つ技術だと思いますので、ご希望の方は、お早めにご予約下さい(^^)



5 古田清人16

終戦

終戦の前に、私は宇佐海軍航空隊に異動し、再び飛行訓練士として着任しました。

しかしながらこの基地では、ほとんどの飛行機が破壊されていたためさらに百里原海軍航空隊に異動しました。

訓練終了後、多くの教え子が特攻の任務で死んでいきました。

彼らは次々と命を落とし、百里原航空基地にはほとんど飛行機が残っていませんでした。

ガソリンも残り少なく、それらはすべて特攻の任務のために取ってありました。

私の新しい部隊も特攻部隊でしたが、私は1945年8月15日に終戦を迎えたため生き延びることができました。

終戦時、日本はアメリカに壊滅されたと思いました。

占領軍が到着した際、アメリカ軍が何をしようとしているのか私は知りませんでした。

敗戦のせいで日本は惨めな国になると思いました。

ところがそれとは逆に、アメリカは日本人に対しとても良くしてくれました。

例えば食料が不足している時に彼らは食料を供給してくれました。

普通の状況であれば日本人はアメリカを憎むでしょう。

それにも関わらず、戦争が終わってしまうと、私たちはアメリカに対して、

敵国としての何の憎しみの感情も持たなかったのです。

日本帝国海軍として最終的な私の階級は中尉で、軍に従事している間合計5,000時間あまり飛行したのでした。

次回に続く



田村装備開発(株)
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Posted by 田村 忠嗣  at 14:55Comments(0)オリジナル製品ブログ趣味トレーニング

2014年10月06日

残り僅か & 古田清人14

田村装備開発です。

台風の影響、田村装備開発は殆ど影響がありませんでした。

本社で飼っている、ウサギ『ハク』と『ミミ』も元気にしております(^^)

今回は、コンパクトレッグリグのご連絡です。


次回より、スターライトスコープについて、少し書こうと思います(^^)





1 残り僅か!



VOLK TACTICAL GEAR 様とのコラボ製品、

コンパクトレッグリグ、残り僅かです!

TTCで人気のBKは、間もなく品切れです。

お買い求めは こちら から

宜しくお願い致しますmm




2 古田清人14

赤城は別の攻撃のため飛行機の準備をしていて、

いくつかは燃料を積んで武装されていたため、

1つの爆弾が命中したことが大きな悲劇を招く際立った結果となりました。」

南雲忠一中将は指揮を駆逐艦野分(その後軽巡洋艦長良に)に移し、

空母から離れました。しかしその当時、船の船長は最後まで船に残ると信じられていました。

赤城の整備士たちは逃げようとして二つのグループに分けられました。

1つのグループは船首に、もう1つは船尾に行きました。

彼らは熱から逃げる必要がありました。青木泰二郎艦長は船員を集めるため船尾に行きました。

彼は、飛行士を助けて日本に生きて帰る必要があると言いました。

青木艦長は飛行士は一人前になるのに20年(生まれてから成人するまで)かかるため、

非常に貴重な存在であり、彼らが生き延びればすぐにまた飛べると言ったのです。

船尾に1つボートが下げられました。

その後、私を含み約40人がこのボートで近くの駆逐艦に移動しました。この時、

赤城が沈んでいるとは思いませんでした。

それでもなお、空母は赤く光り、あちこちが燃えていました。

空母加賀も同じ状態でした。赤城はもともと巡洋戦艦として造られたため、非常に頑丈でした。

私たちは空母を残して去ることはできませんでした。

米軍がそれを察知するからです。そ野代わり、翌日早く、駆逐艦の魚雷を使って赤城を沈没させることに決めました。

赤城を沈める前に、船に残ると信じられている艦長を含め誰も船に残っていないことを確認しました。

幸いに、グループの人々が彼を船から連れ出していて、彼は助かりました。

私たちの船は、すぐに沈められました。

「6月5日5時20分、山本艦長に愛された赤城は駆逐艦荒潮、萩風、舞風、野分から発射された魚雷によって沈められました。

1,070人以上の乗組員のうち263人が亡くなりましたが、

古田さんが述べたように、青木艦長も幸運な生存者の一人でした。」

今にして思えば、私たちはミッドウェイ環礁を攻撃すべきではなかったと思います。

そのかわり、敵の航空母艦を探して沈めるべきでした。

なぜなら私たちは彼らがその辺にいるという直感があったからです。

空母同士の戦いをすべきで、もし敵の空母を沈めたなら、

ミッドウェイ環礁も容易に手に入れることができたと思います。

それにもかかわらず私たちは航空基地を攻撃しましたが、飛行機は一機もなく、

それは海軍上層部のミスだったのです。私たちは命令されたことを実行しましたが、

それは意味のない任務でした。私は日本の司令官がどう考えたか知りませんが、


私にとって最善の策は敵の母艦と交戦し、ミッドウェイ環礁を手に入れ、そしてハワイに進むことでした。

ミッドウェイ海戦の前には多くの戦いに勝利していました。

しかしながら、私たちは4つの空母をミッドウェイで失いました。

もし日本の海軍がもっと聡明なら、状況は違っていたと思います。

私たちは真珠湾の戦いではたくさんの戦艦を失いましたが空母は失いませんでした。

しかしながら、私たちはその事実を無視してミッドウェイ環礁を攻撃することに集中しました。

戦争の後半で私たちはすべての空母を失ったので、米軍の空母に対して上手く戦うことができませんでした。

新しい飛行士は若くて技術も低く、そしてついに、私たちは戦争に負けました。

次回に続く



田村装備開発(株)
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Posted by 田村 忠嗣  at 16:14Comments(0)オリジナル製品装備品その他